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東京地方裁判所 昭和40年(モ)6444号 判決

債権者 伊予本桃市

右訴訟代理人弁護士 真壁英二

飯塚孝

川辺直泰

山本耕幹

岡田実五郎

伊藤芳生

債務者 財団法人日本棋院

右代表者理事 有光次郎

右訴訟代理人弁護士 伊達利知

溝呂木商太郎

伊達昭

沢田三知夫

青木一男

主文

債権者と債務者間の当庁昭和四〇年(ヨ)第二、八四四号仮処分申請事件について当裁判所が同年四月八日になした決定を取消す。

債権者の本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

第一項に限り仮に執行することができる。

事実

債権者訴訟代理人は「主文第一項掲記の仮処分決定を認可する。」旨の判決を求め、仮処分申請の原因として、

一、申請外日本棋院中央会館は、囲碁の対局場及びサロンの開設、出版物の発行その他これに関連する事業を行なうことを目的として、昭和二九年五月三一日設立された民法上の組合に準ずる性格を有する人格のない社団又は社団と財団の中間的性格を有する人格のない団体である。

(一)  申請外日本棋院中央会館の設立の経過は、左のとおりである。

(1)  棋道の発達を図り文化の向上に資することを目的としている債務者は、戦後囲碁の愛好者が増加し、囲碁が国際的にも普及されるに至ったのに伴って、東京都の中央部に、対局場及びサロンを設置すると共に出版物を発行するなどして、囲碁愛好者の便宜と指導に供し、棋道の普及発展に資せようと考え、東京駅八重洲口に国際観光会館が新築されたのを機会に、同会館内に中央会館という施設を開設して右事業の遂行に乗り出そうとしたのであるが、かつて大正時代の終り頃丸ビル内において棋士の一部の者が中央棋院という名称の囲碁ホールを経営して多額の負債を生じ失敗した事例のあったことにかんがみ、債務者所属の棋士の多数より債務者が自ら中央会館を設置してその経営にあたることによって負債を生じ財政的苦境に陥ることを危ぶむ余り、債務者の右計画に対する反対の気運が高まったほか、中央会館が商法にいわゆる客の来集を目的とする場屋にあたるところから、このような施設を経営する営利事業を公益法人である債務者が営むことは不適当であるのみならず、中央会館の設置に必要な資金を調達するため寄附金を募るについては、債務者がその名においてするよりも、囲碁を愛好する名士を中心とする団体を設立して、その団体の名において広く囲碁愛好者から寄附を求める方がより効果的であるという意見が強くなった。

(2)  このような情勢からして、前記事業の経営にあたる主体として債務者とは別個独立の日本棋院中央会館と称する団体を設立することとなり、債務者の理事その他債務者所属の棋士及び囲碁を愛好する政界財界の名士等三〇〇余名の者が日本棋院中央会館設立運営委員会を結成し、その委員の中から申請外津島寿一を委員長とする四八名の日本棋院中央会館設立実行委員が選任され、前記団体を設立する手続が進められた結果、昭和二九年五月三一日に申請外日本棋院中央会館という名称の、前述のような性格の団体が債務者とは別個に独立して設立されたのである。

なお、日本棋院中央会館設立運営委員会は、昭和二九年一二月三日日本棋院中央会館運営委員会と改称し、委員の改選の結果、申請外津島寿一を委員長とする九六名が運営委員に選任されたのであるが、その中から三名の者が常任運営委員に互選されるに至った。

(二)  申請外日本棋院中央会館は、上述したようなその設立の経緯からみても明らかなように、債務者とは別個の団体であって、独立してその名において事業の経営を続けているのであるが、なお以下に掲げる諸般の事実も、そのことを裏付けるものである。

(1)  申請外日本棋院中央会館の設立資金にあてられた寄附金は、その設立に賛成してこれが設立運営委員に就任した者から醵出されたものであり、債務者も補助金として金四〇〇万円を交付したのみならず、右設立資金の一部については、右設立運営委員会の名において借入れが行なわれたのである。

(2)  申請外日本棋院中央会館の事業の用に供すべき国際観光会館内の室については、右設立運営委員会が債務者を保証人として申請外株式会社国際観光会館から二度に別けて、すなわち昭和二九年一〇月一日に国際観光会館の五階の九九坪二合(三二七・九三平方メートル)を、ついで昭和三〇年一月一六日同階の一六坪四合(五四・二一平方メートル)を賃借したのである。

(3)  申請外日本棋院中央会館は、設立後自からの事務局を置き、その職員の雇入れ、解雇、職員に対する給料の支払、その源泉徴収税、社会保険料等の納付、銀行取引についてはもとより、人事及び経理に関する事務もすべてを自からの名において処理して来ているのである。もっとも申請外日本棋院中央会館からその収支及び決算につき債務者に報告をしたことはあるけれども、それは、申請外日本棋院中央会館において債務者より前述のとおり設立資金として金四〇〇万円の補助を受けたのみならず、設立後も毎月金一五万円づつの補助金を支給されて来たし、かつまた、債務者の刊行にかかる出版物をその委託に基づいて販売していたことによるのである。

二、債権者は、申請外日本棋院中央会館の業務執行権を有する地位にあるものである。

債権者は、債務者所属の棋士であって、申請外日本棋院中央会館の設立に際し、その設立運営委員となり、かつ、設立実行委員にも選出されて、右設立運動において重要な役割を果たしたのであるが、昭和二九年一二月三日日本棋院中央会館運営委員となり、同時に申請外岩本薫及び同桑原宗久と共にその常任運営委員に選任されたのである。この常任運営委員は、申請外日本棋院中央会館の業務執行に関する権限を与えられたものであるが、その後約一年を経た昭和三〇年一二月一三日に至って、申請外日本棋院中央会館の事業経営が収支相償わず、そのために生じた赤字を解消する方策に関する今後の経営方針につき常任運営委員の間に意見の相異を来たしたところから、債権者を除く他の常任運営委員二名が辞任し、その後任として申請外村島誼紀及び同宮下秀洋が選任されたけれども、右両名もまた間もなくその職責の遂行に自信を失って辞任したため、爾来債権者がただ一人常任運営委員の地位に留まって、一〇年という長期間に亘って申請外日本棋院中央会館の業務の執行にあたって来たのであって、この間債務者はもとより他の何人からも債権者の右業務執行に対してはなんら異議の申出はなされなかったのである。

叙上の情況にかんがみるときは、債権者は、(一)右常任運営委員の地位に伴うものとして、申請外日本棋院中央会館の業務の執行に関する権限を独占しているものというべく、(二)仮にその主張が認められないとしても、黙示の委任により右業務の執行権を取得したものというべきである。

三、ところが、債務者は、申請外日本棋院中央会館が債務者とは別個独立の団体であることを否認して債務者に所属する機構の一つに過ぎないと称し、昭和四〇年一月末頃開催したその理事会及び評議員会の議決を経て、日本棋院中央会館が債務者に附属し、棋道の普及発達を図り、文化の向上に貢献する機関であり、債務者の理事会においてその運営、経理その他一切の事務を管理し、理事長をもってあてる館長が運営一切の責任者となり、管理運営の事務を担当するため理事会に中央会館運営担当委員会を置く旨を定めた「日本棋院中央会館規定」(乙第七号証)を制定したうえ、昭和四〇年四月一日からこれを実施しようとするに至った。債務者の言分によると、右の「日本棋院中央会館規定」は、先に債務者が制定して実施していたという昭和三〇年一二月一三日付の「日本棋院中央会館規定」(乙第六号証)が、日本棋院中央会館をもって囲碁の国内的及び国際的普及を図り、棋道の発展に資すると共に、棋士の福祉の増進に貢献する機関であるとして、債務者の理事長が館長としてその運営一切の責任者となり、運営に関し協議し、かつ、これに協力援助を与えるため、債務者の総裁を委員長とし、債務者の理事会の決議によって委嘱する委員をもって構成する運営委員会を置くものと定めていたのを改正したものであるということである。しかしながら、債務者のいう改正前の「日本棋院中央会館規定」自体その制定につき正規の手続を践んだものではないのであるが、その点はしばらく措くとしても、債務者が制定したものであるという右規定はもとより、これを改正したものであると称する前記規定もまた、債務者とは別個独立の団体である申請外日本棋院中央会館をなんら拘束し得るものでないことは当然である。

四、債務者は、債権者に対し、前記改正にかかる「日本棋院中央会館規定」の実施に伴い昭和四〇年四月一日限り日本棋院中央会館の経営に関する事務を債務者に引継いだうえ、その施設から退去するよう求めて来たのである。しかしながら、債権者は、前述のように債務者とは別個の独立した団体である申請外日本棋院中央会館の業務執行権者たる地位にあるものであるから、債務者によってその権限を左右されるいわれはないので、債権者の右業務執行権に基づく申請外日本棋院中央会館の管理運営を、これに対する債務者の妨害から保全するため仮処分の申請をしたところ、債務者が債権者において申請外日本棋院中央会館の管理運営をその運営委員会の指揮監督のもとにすることを妨害することを禁止する旨の主文第一項掲記の仮処分決定を得たので、その認可を求める。

と陳述した。

疎明≪省略≫

債務者訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決を求め、答弁として、

一、債権者の主張するように、債務者と別個独立の団体として申請外日本棋院中央会館が設立されたことは否認する。

債権者の主張する申請外日本棋院中央会館なるものは、左記のような経過により債務者に直属するその下部機構の一つとして設置されたものであるに過ぎない。

債務者は棋道の発達を図り文化の向上に資することを目的として設立されたものであるが、囲碁の興隆に伴い専門棋士が約二〇〇名、国内の愛好者が約五〇〇万名にも達したほか、囲碁が国際的にも進出するに至ったところから、債務者所属の棋士である申請外瀬越憲作及び岩本薫の両名が当時債務者の総裁であった申請外津島寿一の賛同を得て、東京都内の中心部に会館を設置すべきである旨を発議し、債務者の理事会もこれを承認可決し、申請外津島寿一を委員長とする日本棋院中央会館設立運営委員会を設けて、同会館の設置に必要な資金の調達その他一切の手続の推進にあたらせることにした。

日本棋院中央会館設立運営委員には、債務者の全役員のほか、一般の囲碁愛好者の中から有力者を委嘱して、同会館の設置に必要な資金の寄附を募り、金三、〇〇〇万円以上の募金を得、債権者自からも金四〇〇万円を支出したのである。かくして日本棋院中央会館は、昭和二九年一一月二三日その会館披露式を挙行し、東京都千代田区丸の内一丁目一番地所在の国際観光会館の五階において囲碁の対局場及びサロンの経営その他の事業を始めることになったのである。なお、日本棋院中央会館設立運営委員会は、右中央会館の開設によりその使命を終ったので、債務者は、その頃日本棋院中央会館の運営、経理その他一切に関する事務を担当させるため、日本棋院中央会館運営委員会を新設し、債務者の理事会とこの運営委員会との協議によって、昭和二九年一二月二二日、「日本棋院中央会館運営委員会規定」(乙第一二号証)を制定したのであるが、とくにその第二条において、「日本棋院の一機構として、日本棋院中央会館運営委員会を置く」旨を規定して、このような性格の委員会によってその運営、経理その他一切に関する事務を担当させる日本棋院中央会館が債務者とは別個の独立した組織ではないことを明らかにしたのである。

日本棋院中央会館を設置するため申請外株式会社国際観光会館から国際観光会館の五階の室を賃借したのも債務者自身である。もっとも右賃貸借契約が賃借人を日本棋院中央会館設立運営委員会、保証人を債務者として締結されたこと、日本棋院中央会館の業務に関する人事及び経理等についての事務の処理がその名においてなされていたことは、債務者の主張するとおりであるけれども、それは、債務者が日本棋院中央会館の事業の運営につきいわゆる独立採算制を採用したことによる事務処理の便宜に基づくに過ぎないものであって、さればこそその状況については逐一債務者に報告がなされていたのである。

債務者は、その理事会において日本棋院中央会館の業務の運営に関する基本的計画を樹ててこれを日本棋院中央会館運営委員会に指示し、その業務の運営については細目的な事項に至るまで指揮監督を行って来たのである。

二、債務者が日本棋院中央会館(債務者の一下部機構に過ぎないものであることは上述のとおりであるが)の業務執行権を有する地位にあるものであることは否認する。

債権者は日本棋院中央会館設立運営委員会の委員、とくにその中の設立実行委員に選出され、昭和二九年一二月六日以降においては、当時新設された日本棋院中央会館運営委員会の委員、とくにその中の幹事(債権者のいわゆる常任運営委員)に選任され、今一人の幹事である申請外桑原宗久と共に、当時制定された「日本棋院中央会館運営委員会規程」(乙第一二号証)の定めるところにより、右中央会館館長の申請外岩本薫を補佐して同会館の業務の運営に関する実務の処理にあたることとなった。その後昭和三〇年一一月中に日本棋院中央会館の業績にかんがみその設置場所を国際観光会館内の他の室に移転しようとしてその案が容れられなかったことから、申請外岩本薫が館長を、申請外桑原宗久が幹事を辞任し、同年一二月一三日より、前掲乙第一二号証の「日本棋院中央会館運営委員会規程」を改正した「日本棋院中央会館規定」(乙第六号証)が施行され、これに伴って債権者は、債務者の理事会の決議に基づき申請外村島誼紀及び宮下秀洋と共に日本棋院中央会館の実行委員の委嘱を受けて、右中央会館の運営に参与する権限を与えられたのである。しかしながら、右改正規定の施行後においては日本棋院中央会館の業務の運営については、債務者の理事長が館長となって一切の責任を負い、別に債務者の総裁を委員長とし、その他債務者の理事会の決議によって委嘱する委員によって構成される運営委員会が置かれ、同会館の運営に関して協議し、かつ、その協力援助にあたるものとされた。

ところが、昭和三一年秋頃になって申請外村島誼紀及び同宮下秀洋は、囲碁手合わせに忙殺される等の事情もあって、事実上右実行委員を退任し、爾後日本棋院中央会館の業務の運営に関する実務の一切は債権者のみによって処理されることになった。

けれども、債権者が日本棋院中央会館の経営ないしは業務の運営につき独自の権限を有するものでないことは、上来説明したところにより明らかである。しかるに債権者は、右実行委員の地位を利用してとかく専断の行動に出ることが繁くなったし、又かねて前掲乙第六号証の「日本棋院中央会館規定」に対し、債務者の理事の一部から実情に適さないとの批判が出されていた事情もあって、債務者は、昭和四〇年三月中これを廃止して、これに代わる「日本棋院中央会館規定」(乙第七号証)を制定して同年四月一日からこれを実施するに至ったのであるが、この規定では、日本棋院中央会館の運営、経理その他一切の事務は債務者の理事会が管理し、運営の一切の責任者として債務者の理事長をもってあてる館長を、右会館の管理運営の事務を担当させるため債務者の理事会に理事長を委員長とし、同理事会の指名する理事及び学識経験者を委員とする中央会館運営担当委員会を置くことが定められたのであって、その実施により債権者は前記実行委員の地位をも失うことになったのである。

三、これを要するに債権者は、本件仮処分を申請するについての被保全権利を有しないものというべく、従って債権者の申請を認容した主文第一項掲記の仮処分決定は取消されるべきものである。

と陳述した。

疎明≪省略≫

理由

一、債権者の主張するような債務者とは別個独立の団体によって経営されるものであるかどうかはさて措いて、昭和二九年一一月二三日から日本棋院中央会館という名称で、東京都千代田区丸の内一丁目一番地所在の国際観光会館の五階に囲碁の対局場及びサロンが開設されていることは、債務者の認めるところである。

二、そこで日本棋院中央会館の開設に至るまでのいきさつについて調べてみる。

(一)  棋道の発達を図り文化の向上に資することを目的とする債務者が囲碁が国内でも国際的にも普及するに至ったことに伴い、東京都内の中心部に囲碁の対局場及びサロンを設置しようと計画したことが、日本棋院中央会館の開設の発端となったことについては、当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、左のような事実が認められる。

日本棋院中央会館の設置については、債務者所属の棋士である申請外瀬越憲作及び同岩本薫が昭和二九年春頃当時債務者の総裁であった申請外津島寿一の賛同を得て提案し、これが債務者の理事会や評議員会又は棋士会で論議されたところ、債務者所属の棋士の多数の者から、碁会場や囲碁クラブの経営が不成功に終った事例のあったことにかんがみ、債務者が自からその中央会館を設置してこれが経営に乗出し、もし失敗すれば、その累が棋士にも及びかねないとして、反対意見が述べられたので、債務者は、当初の方針を変更して、日本棋院中央会館設立運営委員会というものを結成して、この委員会に日本棋院中央会館の設立に関する手続を担当させることとし、債務者所属の棋士のほか、政界及び財界の有力者の中から委嘱によって右委員会の委員三〇〇余名を選任し昭和二九年五月三一日同委員会の初会合が開かれて、申請外津島寿一を委員長に、申請外足立正ほか四七名を設立実行委員に選び、同年六月一八日に第一回の設立実行委員会が開催された。

その頃債務者は、「日本棋院中央会館設立趣旨書」と題する文書を作成して、債務者が設立以来東京都麹町区永田町二丁目一番地に所有していた永田町会館が昭和二〇年五月戦災により焼失し、昭和二二年買取った肩書地所在の建物は手狭で、終戦後の国内及び国外における囲碁の急速度な普及の情勢に対処するため適当でないところから、東京駅八重洲口に新築中の国際観光会館内に中央会館を開設して、理想的な対局場としてこれを利用するほか、囲碁サロンを設営して一般の囲碁愛好者の便宜に供し、又出版活動及び囲碁の国際的宣伝を盛にすべく計画している旨解説し、前記設立運営委員とくに設立実行委員においてそれぞれ手別けして、日本棋院中央会館の設置に必要な資金を、金二、七〇〇万円を目標に法人及び個人からの寄付及び借入れによって調達すべく奔走し、ほぼその目的を達成したところから、債務者も金四〇〇万円を支出し、昭和二九年一一月二三日工業倶楽部において会館披露式を挙行し、かねて日本棋院中央会館設立運営委員会委員長津島寿一の名において債務者を保証人として申請外株式会社国際観光会館から賃借していた国際観光会館の五階の九九坪二合(三二七・九三平方メートル)に日本棋院中央会館という名称の施設が開設されるに至った(右のような形で賃貸借契約が締結されたことは、当事者間に争いがない。)。更に昭和三〇年一月一六日賃貸人、賃借人及びその保証人を前同様にして国際観光会館の五階の一六坪四合(五四・二一平方メートル)につき賃貸借契約が締結され(この事実も、当事者間に争いがない。)て、日本棋院中央会館の業務に使用されることになった。

≪証拠認否省略≫

三、ついで右のようにして開設された日本棋院中央会館の経営又はその業務の運営がどのようにして行なわれて来たかについて考えてみるに、≪証拠省略≫によれば、以下のような事実が認められる。

日本棋院中央会館の開設に伴ってその設置の手続を推進した日本棋院中央会館設立運営委員会は、その使命を達成したので、昭和二九年一二月三日解散し、同日新たに日本棋院中央会館の運営に関する一切の事務を担当するものとして申請外津島寿一を委員長とする日本棋院中央会館運営委員会が置かれ、その中から申請外岩本薫が館長に、債権者と申請外桑原宗久とが常任運営委員(幹事とも呼ばれた。)に選ばれた。ところが、その後約一年を経過して日本棋院中央会館の業績が振わないなどの理由からその設置場所を国際観光会館内の別の室に移転しようとする計画が容れられなかったこともあって、館長の職にあった申請外岩本薫と常任実行委員又は幹事の職にあった申請外桑原宗久がそれぞれ辞任するに至った。そのため債務者は、昭和三〇年一二月中その理事会において、日本棋院中央会館を理事会により密接に結びつけてその運営の改善強化を図るべく、その方策として、債務者の理事長をもって館長にあて、運営の一切に関する責任者とするほか、債務者の総裁をもってあてる委員長と債務者の理事会の決議により委嘱する委員とよりなり、日本棋院中央会館の運営に関し協議し、かつ、これに協力援助を与えるための運営委員会と同会館の運営に参与させるため債務者の理事会がその決議により債務者所属の棋士の中から委嘱する実行委員を置くものとして、これらの事項等を規定した「日本棋院中央会館規定」(乙第六号証)を制定し、同年一二月一三日からこれを実施に移した。そして債権者と申請外村島誼紀及び同宮下秀洋とが右実行委員に就任した。

しかるにその後右実行委員の間において、日本棋院中央会館の運営につき意見の相違が生じたところから、委員全員が辞任したので、新たな構想のもとに実行委員を選びなおそうということになったけれども、それまでの間における日常の運営事務に支障を来たさないため、債権者が残留することになったのであるが、右のとおり辞任した実行委員の後任者の補充はうやむやになっていた。そのような折柄日本棋院中央会館の館長であった申請外三好英之は、本来の職務に忙殺されて実際上館長の職責を十分に果たすことが困難であったという事情もあって、前記「日本棋院中央会館規定」による同会館の業務の運営が実情に副わない欠点があるとして、これが改正を要望する気運が高まり、その間いくつかの改正案が作られたこともあったが、結局後述するとおり、昭和四〇年四月一日から改正規定が実施されるに至るまで前記「日本棋院中央会館規定」に基づく同会館の運営が続けられていた。この間前述のような情況の下に事実上日本棋院中央会館の運営の衝にあたっていた債権者に対し、とかく独断専行のきらいがあるという批判が加えられ、とくに昭和三九年秋債権者が債務者の関係機関の諒解を得ることなく第二回インターナショナル囲碁トーナメントを開催したことから債権者の専横に対する非難がその極に達し、債権者を右会館の業務の運営より排除しようとする動きがとみに激しくなった。かくして債務者は、その理事会において前記「日本棋院中央会館規定」を廃止してこれに代わるべき新しい「日本棋院中央会館規定」(乙第七号証)を制定し、昭和四〇年三月一九日債務者の評議員会の承認を得て、これを同年四月一日から実施するに至った。この改正規定によると、日本棋院中央会館の運営、経理その他の一切の事務はこの規定の定めるところにより債務者の理事会が管理するが、運営一切についての責任は債務者の理事長をもってあてる館長が負い、別に管理運営の事務を担当させるための中央会館運営担当委員会を債務者の理事会に置いて、債務者の理事長を委員長とし、委員には債務者の理事会の指名する理事及び学識経験者をあてることとされている。

≪証拠認否省略≫

四、叙上のような日本棋院中央会館の開設されるに至ったいきさつ及びその後におけるその業務の運営の状況をかれこれ考え合わせると共に≪証拠省略≫を総合するときは、日本棋院中央会館は、当初から債務者の事業のための施設として開設されたものであって、ただその経営に失敗して損失を招いた場合に、ひいて債務者所属の棋士に累を及ぼすことあるべきことを憂える者があったことにかんがみ、債務者の理事会とは別個の機構を置いてその業務の運営にあたらせることとし、その経理も別扱にし、いわゆる独立採算制を採ることにしたのであるが(このような方式を採ったとしても、事業の損失が法律的に債務者に帰属せしめられることにならないかどうかについては問題はなくはないが)、さればといって、日本棋院中央会館が債務者から全く独立した別個の団体として設立されたものではないこと、債権者は、昭和四〇年三月末日まで右に述べたような性格をもつ日本棋院中央会館の実行委員として、同会館の運営に関する実務を担当処理する地位にあった(この事実は、債務者の認めるところである。)けれども、昭和四〇年四月一日から新しい「日本棋院中央会館規定」(乙第七号証)が実施されたのに伴って、右の地位を失うに至ったものと認めるのが相当である。≪証拠認否省略≫

もっとも日本棋院中央会館の業務に使用するため国際観光会館内の室を申請外株式会社国際観光会館から賃借するに際して、賃借人を日本棋院中央会館設立運営委員会となし、債務者がその保証人となったこと、日本棋院中央会館の業務に関する人事及び経理等についての事務の処理がその名においてなされていたことは、債務者においても争わないところであるが、先に認定したような日本棋院中央会館の開設の実情及びその業務の運営方針に照らすときには、右のような事実があったからといって、日本棋院中央会館が債権者の主張するごとく債務者とは別個独立の団体として設立され、かつ、独自にその経営が行なわれていたものと認めなければならないものとは考えられない。

五、してみると、債権者が本件仮処分を申請するについてその主張するような被保全権利を有することに関して疎明がないものというべく、保証を立てさせてその疎明に代えることも相当でないので、債権者の申請を認容した本件仮処分決定を取消し、その仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言について同法第七五六条の二及び第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑原正憲 裁判官 小林啓二 裁判官片岡聡は転補されたので署名捺印することができない。裁判長裁判官 桑原正憲)

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